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澱んだ紫の空の下で

第一話:生き抜くために

第一話:生き抜くために

第二話:敗北の残香

第二話:敗北の残香

第三話:絆の鉄屑

第三話:絆の鉄屑

遠くから地鳴りのように響く不気味な羽音に背中を追われながら、アビドス対策委員会の生徒たちはシャーレへの道をひたすらに走っていた。
突然、紫色に澱みきった不気味な空に変わり、キヴォトス全域に蟲の化け物が現れてから、交通機関も使い物にならない。
アヤネのヘリすら、上空を埋め尽くす羽虫の群れにローターを巻き込まれて無残に叩き落とされた。
ひしゃげた機体から命からがら這い出したアヤネを抱え、彼女たちは徒歩でシャーレへ向かうしかなかった。
人の少ないアビドスで耐え凌ぐことは不可能。
そう判断した彼女たちに残された道は、ただ一つ。
自分たちの「先生」が待つ、あの硝子の塔へと辿り着くこと。
それだけだった。

ドンッ!ドンッ!ドンッ!

ホシノが時折振り返っては追い縋る羽虫をショットガンでまとめて撃ち落としていく。
羽虫の破片と緑色の不快な体液が飛び散り、彼女たちの頭上に雨となって降り注ぐ。
まとわりつくような粘り気と、脳を刺すような濃厚な腐臭が、髪や衣服を容赦なく汚していった。

「うへ〜……キリがないよ〜……」

降り注ぐ体液を拭うこともせず、ホシノはいつも通りの緩い口調で呟く。
だが、その肩は小さく上下しており、心なしかいつもより余裕がない。

「みなさん、ごめんなさい……ヘリが使えればこんなことには……」

セリカに肩を貸されながら走るアヤネが申し訳なさそうに謝る。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ。みんなの事はおじさんが何とかするから〜」

ドンッ!
パンッパンッパンッ!

ホシノはそう言いながら、脇道から飛び出してきた蜘蛛のような巨大な化け物に、凄まじい反応速度で飛び掛かり盾ごと蹴り飛ばした。
吹き飛んでいく化け物の頭に、寸分違わずハンドガンの銃弾を3発撃ち込む。

「よいしょっと……、このままじゃ埒が明かないねぇ……」

ホシノは盾を拾いながら、ゆっくりとした動作で振り返る。
――その視線が、自分たちではなく、遥か後方を埋め尽くす黒い群勢へ向けられる瞬間。

「……ダメ。それはダメ……!」

何かを察したシロコが悲鳴のように声を荒げる。

「うへ〜、そう言ったってさ〜。おじさん走り過ぎて足が疲れちゃったしさ〜。」

盾と銃を構え、蟲の大軍に向き直るホシノ。

「っ!先輩……!それはダメ!シャーレにはみんなで行くの!!」

「そうです!全員じゃないと意味ありません!!」

ホシノの意図を理解し、他の面々も悲痛な声でホシノを止める。

「うへ〜、そんな顔しないでよ〜。おじさんも少し休んだら行くから。先にアヤネちゃんを連れてシャーレに行ってて〜」

「嘘ばっかり……!」

「嘘じゃないよ〜。おじさん、一人で背負い込むのはあの時で懲りたからさ。ちゃんとみんなの所へ帰ってくるよ。」

いつも通りの笑顔のホシノ。
その覚悟――もう二度と自分たちのために、一人で死ぬ気ではないという信頼を信じるように、アヤネは震える手で愛銃を取り出し、ホシノに手渡した。

「分かりました。どうせ私は戦えません。少しでも足しにして下さい。」

シロコも手榴弾とドローンを渡す。

「ん……。ドローン……必ず返して……。」

泣きながら怒るセリカ。

​「っ、絶対に……絶対に後から来ないと、一生許さないんだから……っ!!」

涙を堪え、決意した表情で声をかけるノノミ。

「全部終わったら私の奢りで柴大将のお店でラーメンですよ……!」

​「……」

かつて自分が一人で全てを諦めようとした時、必死に手を伸ばしてくれた後輩たち。彼女たちが今、涙を流しながらも、自分を「信じて」先に進もうとしている。
――ああ、そうだ。おじさんにはもう、命を投げ出して守るだけじゃない。戦い終わった後に、帰るべき温かい日常が、今度こそあるんだ。
胸の奥に灯った確かな熱を噛み締めるように、ホシノはいつも通りに優しく笑う。

「うん、すぐ行くから待っててね。」

泣きながら先に進むみんなを見送り、蟲の大群に向き直る。
シロコからドローンを、アヤネからハンドガンを受け取ったホシノは、一度だけ目を閉じる。次に目を開けた瞬間、その瞳からは「おじさん」の緩さが完全に消え失せていた。
彼女はアヤネの銃をホルスターへ無造作にねじ込み、シロコのドローンを起動。そして、自分の重厚な盾のバイザーをカシャリと下げる。

「みんなが待ってるからね。おじさん、本気出しちゃおっかな?」

ホシノはシロコから託されたドローンを起動し、盾を構えて蟲の大群へと突撃する――!

頼もしい駆動音が背中を押す中、ホシノは弾かれるように地を蹴った。
吹き荒れる羽音の嵐に飛び込みながらも、その鋭い戦術眼は、一瞬で敵の戦力を正確に分析していく。
羽虫は脆いからショットガンで散らせる……。
蜘蛛はちょっと厄介、でもシロコちゃんのドローンで自動迎撃して撃ち漏らしはハンドガンで……。
蟻は硬いから手榴弾……。

ドンッ!ドンッ!ドンッ!
バシュッ!バシュッ!バシュッ!

上空の羽虫をショットガンで蹴散らしながら、視界の端に映った蜘蛛をドローンに任せる。

「手榴弾でまとめてやっちゃうよ……!」

ドーーーンッ!!!

爆炎と共に、引き千切られた蟻の硬質な甲殻や、熱で弾けた内臓が四散する。
だが、蟲どもは仲間の死骸を容赦なく踏み潰し、狂ったような羽音を立てて押し寄せてくる。

迫り来る肉の壁を前に、ホシノはドスッ!とアビドスの校章が描かれた重厚な盾を地面に突き立ててバリケードとし、右手にショットガン、左手にアヤネのハンドガンを構える。

「よいしょっと……。まとめてかかってきなよ、悪い子たち」

白煙の向こうへショットガンとドローンのミサイルを容赦なくブチ込み、群れの足を止める。
間髪入れず、煙を割って飛び出してきた化け物の無機質な眼球へ、左手のハンドガンから寸分違わぬ精密射撃で銃弾を叩き込んでいく。

…
……
………

どれだけの引鉄を引いただろうか。
どれだけの肉を潰しただろうか。

――1時間後。

ホシノは最後の一匹になった蟻に向かって弾かれたように飛び掛かる――!
脇をすれ違う瞬間、空中での「く」の字の急転換――。
遠心力を乗せた重厚な盾が、蟻の首を容赦なくへし折る。
ずずん、と巨体が崩れ落ち、ついに静寂が訪れた。
築きに築いた屍の山。
蟲の破片と甲殻と体液で築かれた屍山血河。
その真ん中で息を切らしながらホシノは立っていた。
ひび割れた盾にもたれかかってホシノは地面に膝を付く。
――ガクガクと、細い太ももが情けなく震えて、もう力が入らない。
銃の反動を受け続けた両腕は感覚を失って痺れ、呼吸を吸い込むたびに、肺の奥が焼けるように熱かった。周囲に立ち込める蟲の腐臭と硝煙の匂いに、頭がクラクラする。

硝煙を上げる壊れた愛銃。
弾が尽きて冷たくなったアヤネのハンドガン。
地面で無残に大破し、二度と駆動音を上げないシロコのドローン。

(……みんな、ごめんね……。せっかく、託してくれたのに……。シロコちゃんのドローンも、アヤネちゃんの銃も、おじさん……守れなかった……)

傷だらけの後輩たちから「生きて帰るための絆」として手渡された形見が、無惨な鉄屑に変わっている。

「はぁ……はぁ……。お、おじさん……もう……限界だよ……。こんな事……もうごめんだね……。」

​――ずる……ずる……、と。
静寂を切り裂くように、不快な音が屍の山の向こうから、粘つく何かを引きずる音が響き渡る。

​「……う、そ……」

​終わってなどいなかった。
弾の尽きた銃、動かない足。
絶望に視界を歪ませるホシノの前に、初めて見る蟲の化け物が、ゆっくりと這い出てきた――。

(みんな……ごめん……おじさん、嘘つきになっちゃうかも……)

澱んだ紫の空の下で

第二話:敗北の残香